岩村城跡[60枚]

日本三大山城・標高717m・六段壁

2021年7月、岐阜旅行に行きました。岩村城は恵那市にある山城です。標高717mに位置し、霧ヶ城の別名を持ちます。1185年(文治元年)に源頼朝の重臣加藤景廉がこの地の地頭になると長男景朝が築城し、16世紀中に遠山氏・武田氏により本格的な城山が築かれたとされています。織田信長の五男の御坊丸が遠山氏の養子になると、幼少の養子の代わりに織田信長の叔母が実質的な城主となり差配を振るったとされる「おんな城主おつや」の伝説があります。山裾の藩主邸跡から急な坂道を登ると門跡や石垣があり、頂上部の本丸には六段壁という六段の石垣があります。高取城、備中松山城と共に日本三大山城の1つに数えられ、日本100名城に選定されています。

作成

撮影時期2021年08月
エリア中部地方岐阜県
所在地岐阜県恵那市岩村町城山  [MAP]
アクセス明知鉄道「岩村」駅徒歩25分で登山口
関連サイト女城主の里いわむら【公式】戦国の世を凛として生きた、おんな女城主おつや | 恵那市観光協会が運営する「おんな城主」公式観光情報サイト。

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岩村藩主邸跡

城下町から山方向へ歩くと太鼓櫓が現れます。
[1] 城下町から山方向へ歩くと太鼓櫓が現れます。
右側の階段の先に表御門があります。
[2] 右側の階段の先に表御門があります。
正面の階段の先には平重門。
[3] 正面の階段の先には平重門。
内側からの太鼓櫓。
[4] 内側からの太鼓櫓。
表御門。
[5] 表御門。
脇には蔵があります。
[6] 脇には蔵があります。
(調査中)
[7] (調査中)
駐車場の先に岩村歴史資料館があります。
[8] 駐車場の先に岩村歴史資料館があります。

岩村城登城口、下田歌子勉学所

登山口から岩村城跡へと登っていきます。
[9] 登山口から岩村城跡へと登っていきます。
住宅がなくなり山の坂道の雰囲気へ。
[10] 住宅がなくなり山の坂道の雰囲気へ。
序盤から結構急な坂道です。
[11] 序盤から結構急な坂道です。
坂の右側には下田歌子勉学所があります。
[12] 坂の右側には下田歌子勉学所があります。
木造の素朴な建物です。右には教育者である下田歌子の像があります。
[13] 木造の素朴な建物です。右には教育者である下田歌子の像があります。
勉学所の向かいには植物学者の三好学の像があります。
[14] 勉学所の向かいには植物学者の三好学の像があります。

藤坂(初門・一の門)、土岐門

ここから自然の中の本格的な山城へ。藤坂という石畳の急な坂道が続きます。
[15] ここから自然の中の本格的な山城へ。藤坂という石畳の急な坂道が続きます。
初門の跡。
[16] 初門の跡。
本丸まで500mの表示。自然の植物・空気の中、急坂をひたすら登ります。
[17] 本丸まで500mの表示。自然の植物・空気の中、急坂をひたすら登ります。
足元には小さな水の流れも。
[18] 足元には小さな水の流れも。
急坂が続いて疲れます。
[19] 急坂が続いて疲れます。
一の門の跡へ、右手に石垣があります。
[20] 一の門の跡へ、右手に石垣があります。
坂道が左に曲がると土岐門の跡があります。
[21] 坂道が左に曲がると土岐門の跡があります。
土岐門から振り返る。
[22] 土岐門から振り返る。
自然の山道を進んで行きます。
[23] 自然の山道を進んで行きます。

畳橋・追手門~

畳橋の跡へ。空堀にL字型の木造の橋が架かっていました。
[24] 畳橋の跡へ。空堀にL字型の木造の橋が架かっていました。
現在は斜面沿いの道を通ります。足場が悪い所です。
[25] 現在は斜面沿いの道を通ります。足場が悪い所です。
登ると追手門・三重櫓の跡。
[26] 登ると追手門・三重櫓の跡。
本丸まで200m地点、両脇に石垣が現れます。
[27] 本丸まで200m地点、両脇に石垣が現れます。
石垣に挟まれた坂道を登ります。城跡、遺跡らしい雰囲気が出てきました。
[28] 石垣に挟まれた坂道を登ります。城跡、遺跡らしい雰囲気が出てきました。
右側の曲輪の手前に井戸があります。
[29] 右側の曲輪の手前に井戸があります。
さらに石垣の坂を進みます。
[30] さらに石垣の坂を進みます。
緑の苔が印象的な石垣。
[31] 緑の苔が印象的な石垣。
霧ヶ井。蛇骨を投げて霧が城を覆って守った伝説があります。
[32] 霧ヶ井。蛇骨を投げて霧が城を覆って守った伝説があります。
山の上の方ですが石垣が段々になっていて人工的な雰囲気。
[33] 山の上の方ですが石垣が段々になっていて人工的な雰囲気。
本丸まで100m地点。石垣がありつつ高木が立つ緑豊かな山道。
[34] 本丸まで100m地点。石垣がありつつ高木が立つ緑豊かな山道。
階段の先には八幡神社。
[35] 階段の先には八幡神社。
山道は緩やかに。高木の道を進みます。
[36] 山道は緩やかに。高木の道を進みます。
菱櫓と俄坂の解説。
[37] 菱櫓と俄坂の解説。

六段壁

先に進むと六段壁が見えてきます。
[38] 先に進むと六段壁が見えてきます。
空が開け、本丸の六段壁へ。印象的な構造です。
[39] 空が開け、本丸の六段壁へ。印象的な構造です。
左側の東曲輪の石垣。
[40] 左側の東曲輪の石垣。
六段壁の解説。
[41] 六段壁の解説。
崩落を防ぐための補強を繰り返した結果だという。
[42] 崩落を防ぐための補強を繰り返した結果だという。
折り重なる独特の石垣。上面には全て草が生えています。
[43] 折り重なる独特の石垣。上面には全て草が生えています。
曲輪の間の坂を登ります。
[44] 曲輪の間の坂を登ります。

本丸

後方、東側には平らな東曲輪。
[45] 後方、東側には平らな東曲輪。
西側へ、長局埋門の跡。
[46] 西側へ、長局埋門の跡。
石垣にしっかり囲まれています。
[47] 石垣にしっかり囲まれています。
登って右側に回り、石垣の切れ目の階段へ。
[48] 登って右側に回り、石垣の切れ目の階段へ。
本丸の広場へ登りました。
[49] 本丸の広場へ登りました。
登って来た門を見下ろす。
[50] 登って来た門を見下ろす。
木々の切れ目から北東側の山並みの風景が見えます。
[51] 木々の切れ目から北東側の山並みの風景が見えます。
西側へ、入り組んだ石垣の道が見えます。
[52] 西側へ、入り組んだ石垣の道が見えます。
南東側には駐車場になっている出丸跡があります。西側は木々が遮り風景はあまり見えません。
[53] 南東側には駐車場になっている出丸跡があります。西側は木々が遮り風景はあまり見えません。
本丸の広場の様子。
[54] 本丸の広場の様子。
岩村城歴史方位盤があります。
[55] 岩村城歴史方位盤があります。
本丸の解説。櫓が複数あったようです。
[56] 本丸の解説。櫓が複数あったようです。
慰霊碑や解説の看板。
[57] 慰霊碑や解説の看板。
今は静かな草原の広場です。
[58] 今は静かな草原の広場です。
昇龍の井戸があります。
[59] 昇龍の井戸があります。
織田信長公宿営の地。歴史を伝える山上の静かな広場です。
[60] 織田信長公宿営の地。歴史を伝える山上の静かな広場です。

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岩村城跡の近隣

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岩村駅(12枚)1840m

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