2022年5月、東三河・浜松旅行に行きました。吉田城は豊橋市今橋町にあったお城です。永正2年(1505年)に牧野古白が築城し、今橋城と呼ばれていましたが後に吉田城に改称しています。戦国時代は三河の重要拠点の1つで、永禄7年(1564年)に徳川家康が攻略し城主に酒井忠次を置いています。天正18年(1590年)に池田輝政が城主になると城を大改修し城下町を整備しました。江戸時代には吉田藩の藩庁が置かれ譜代大名が城主を務めています。明治維新後に豊橋藩と改称されると豊橋城とも呼ばれました。太平洋戦争後に豊橋公園として整備され、昭和29年(1954年)に隅櫓(鉄櫓=くろがねやぐら)が模擬再建されています。
作成
撮影時期 | 2022年05月 |
エリア | 中部地方 / 愛知県 |
所在地 | 愛知県豊橋市今橋町3 [MAP] |
アクセス | JR東海道本線「豊橋」駅徒歩20分、豊鉄市内線「市役所前」徒歩5分 |
関連サイト | 吉田城/豊橋市 |
※画像の無断利用を禁じます 写真の利用と禁止事項
*Use of images is prohibited. Details
二の丸
[1] 豊橋公園の入口、歴史ありそうな雰囲気です。左には歩兵第18連隊の哨舎跡。
[3] 吉田城案内図。現在は豊橋公園として整備されています。
[4] 木々が美しい公園内、本丸のある北の方へ進みます。
[6] 右側の豊橋市美術博物館方面ではお祭りのようなイベントで賑わっています。
[7] 庭園跡にあるような1本1本が大きくて立派な木です。
[9] 本丸入口の石垣崩落で通行止めのため右に迂回します。
[11] 頭上にはそよそよと音を立てる美しい木々。
金柑丸
[12] 本丸東側の金柑丸(きんかんまる)へ。少し雑然とした裏側的な雰囲気です。
[15] 歩兵第18連隊の戦病死者を追悼する神武天皇の銅像があります。
[19] 空堀の北側、そのまま豊川へと開いています。
本丸・鉄櫓
[23] 裏御門跡を過ぎると本丸の広場が開けます。
[25] 南側の入口の門(名称調査中)は石垣崩落のため通行止め。
[28] 北西側には再建された鉄櫓(くろがねやぐら)があります。周辺には憩う人達。
[30] 鉄櫓内部より、カーブする豊川を望む。格子越しなのであまり見やすくはありません。
本丸・武具所跡周辺
[32] 鉄櫓の豊川側には武具所跡があり展望台のようになっています。
[34] テラスのような展望台からカーブする豊川を望む。
[39] 大きくカーブする木、撮影スポットになっていました。
北御多門跡・豊川沿い
[42] 階段状の桝形を囲う高い石垣が印象的です。
「吉田城(豊橋公園)」の地図
所在地 | 愛知県豊橋市今橋町3 |
アクセス | JR東海道本線「豊橋」駅徒歩20分、豊鉄市内線「市役所前」徒歩5分 |
関連サイト | 吉田城/豊橋市 |
↓拍手ボタンを押して頂けるととても励みになります。
前後の撮影場所
【NEXT】
【PREV】
長篠城跡(60枚)
長篠の戦いで武田の大軍包囲に耐える