昨年被災地を訪れて想いが増した、東日本大震災から9年目の日に思うこと
東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災から9年目の日を迎えました。2011年3月11日14:46、この日時は一生忘れることはないでしょう。
去年も書きましたが、東日本大震災は東京に居た自分にとっても死を覚悟するほどの人生最大の出来事でした。当時のメモに「命さえあればいい」と書いた事を覚えています。人生を充実させて後悔しないように生きて行こう、と決意する大きなターニングポイントとなりました。あれから毎日、財布など必需品が入ったバッグをベッド脇に置くことが習慣化しました。
その後現在の復興状況はどうなっているか。9年経った現在でも4万人以上もの人が避難生活をしています。福島第一原子力発電所からの汚染水を保管するタンクがなす術もなく延々と増え続け、廃炉作業は一向に先が見えません。14日には常磐線が全線運転再開を果たしますが、依然として避難指示が解除されない区域があります。故郷や大切な人を突然奪われた方々の辛さはいかばかりか、察するに余りあります。なお、今年は新型コロナウイルス蔓延の影響で追悼式が中止になりました。
去年はついに宮城県の被災地を訪れました。南三陸の志津川地区と、東松島市の野蒜です。
仮復旧したBRTに揺られて到着した志津川、一帯をかさ上げをした広大な造成中の土地、そこに街があったなんて信じられない程の光景でした。骨組みとなった旧防災対策庁舎は、最期まで避難を訴え続けた職員殉職の悲劇に想いを馳せました。さんさん商店街のにぎわいは救いを感じられたとはいえ、8年半経っても復興したとは思えない現実を感じました。
野蒜では東松島市震災復興伝承館となった旧野蒜駅へ行きました。野蒜駅は高台に移転され、新しい街が作られていました。被災エリアは住宅が点在するのみ、残されたホームや津波の高さを示す線、街中が瓦礫まみれになり電車も流された被災の様子の展示を見て、改めて地震や津波の恐ろしさを実感しました。
現地を訪れ、「復興」したとは到底言えないその現実を目の当たりにしました。とても心が動かされました。複雑な想いでしたが、現実を知る事が出来てよかったです。改めて本当の意味での「完全復興」を願いました。岩手県など他の被災地域もいずれ訪れたいです。多くの人が被災地を訪れ、何かを感じてほしいです。
とにかく忘れてはいけない、風化させてはいけない、伝えていかなければならない。被災した方々、地域への関心や支援を途絶えさせてはいけない。名ばかりの「復興」であってはいけない。この日に改めてそう思いました。そのために自分に何ができるのかを改め考え行動します。思えば悲劇の中に芽生えた日本中、世界中の素晴らしい「絆」がありました。今後も被災者の方々の「希望」が続きますように。
改めまして、震災で亡くなられた方々に心よりご冥福をお祈り申し上げます。また、被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。1日も早い本当の意味での「完全復興」を願っています。