【宮城旅行】(3) 南三陸、野蒜 ~ 東日本大震災の被災地を訪問
こんにちは、旅行散策と一眼レフ撮影が趣味の「みやだい」です。
宮城旅行2日目の続きです。3日目は東日本大震災の被災地である南三陸(志津川)と野蒜を訪れました。被災地へは何年も行こうと思っていましたがようやく叶いました。2019年8月なので約8年半が経過しています。
当日は台風接近のため交通機関がストップして戻れなくなるリスクがあるので予定より短縮したコースにしました。長くなりますが被災地の現状を伝えたいのでぜひご覧ください。
南三陸で悲劇を伝える旧防災対策庁舎。
仙台から南三陸(志津川)へ
南三陸に向かいますが、そこまでの交通機関も東日本大震災と関係が深いので紹介します。
まず仙台から東北仙石ラインで石巻へ。途中まで東北本線を通って仙石線の高城町駅手前から仙石線に入り、時間短縮を実現した路線です。この路線も東日本大震災をきっかけに沿線復興支援として2015年に開業しました。二路線の電源方式の違いの関係でハイブリッド気動車が使われています。
仙台駅から東北仙石ライン
高城町駅手前で仙石線と合流
石巻駅から気仙沼線方面へはSUICA等のICカードが使えないことが判明し、石巻駅で切符を買い直しました。
気動車の石巻線でのどかな田園地帯を走り、分岐駅の前谷地駅へ。ここで気動車の気仙沼線へ乗り換えます。
・石巻からの石巻線は2両
・前谷地からの気仙沼線は1両
気仙沼線は北上川を渡った先の柳津駅で鉄路が途切れ、ここからは仮復旧として整備されたBRT(バス)に乗り換えます。乗客は10人もいないぐらいでした。
・柳津駅のマップ
・柳津駅の線路止め、BRTに乗り換え
↓さらに詳細はこちら
ここからは線路が道路に置き換えられた専用道を通る形になり、元々単線なので片車線分の幅しかなく途中にすれ違いの場所が設けられています。途中にはトンネルもあり、乗り心地は通常のバスと同じで鉄道よりも揺れが大きい。でもこのBRTがあるからこそ沿線の仮復旧が早まったのだろう。
海の近い陸前戸倉駅に到達すると周辺が造成中の雰囲気に。津波の被害を受けた地域に入ります。少し海沿いを走り一般道に出ると、周囲は大規模にかさ上げをした広大な造成地の雰囲気。交差点を曲がり志津川駅(南三陸)へ到着。ここまで仙台から2時間半かかりました(本数が少なく時間により長い乗り継ぎ待ち時間があるので事前に調べた方が良いです)。
南三陸(志津川)
志津川駅へ到着すると周囲は広い空き地。交差点にはコンビニやガソリンスタンドなどがあるものの、静かな雰囲気。
・志津川駅のマップ
・BRT志津川駅
・閑散とした駅周辺
海寄りの展望台から周囲を眺めます。
南三陸の街を襲った静かな海
川の河口部、大規模にかさ上げ工事中の雰囲気
川上方面、一帯は大部分が更地、広範囲で造成中で10mもかさ上げされていた
街づくり計画の看板
復興のシンボル「さんさん商店街」へ向かいます。車も沢山止まり、沢山の人でにぎわっている様子に一安心。
高校生達が弦楽合奏の演奏をしていました。こういう時こそ音楽の力ですね。
旧防災対策庁舎が見える所がありました。骨組みだけになった建物はその頭しか見えません。今立っている場所と川の対岸が共に10mもかさ上げされていたのを実感しました。周辺は祈念公園となるようです。
商店街で昼食、三陸名物の海鮮丼を食べました。
段々雨が降ってきました。旧防災対策庁舎へ向かいますが今は近くには行けず、道路から眺めることにしました。
広大なかさ上げをして造成中の土地、旧防災対策庁舎とかさ上げの高さの差。ここに街があったことが信じられないのと、これほど大規模な津波対策をしていること、それが必要な事。旧防災対策庁舎では津波からの避難を呼びかけ続けた若い女性職員が殉職した悲劇があります。実際にこの場所に来て様々な感情が湧いてきました。こうやって実際に心を動かされているので、庁舎は残してほしいです。
商店街に戻り写真屋さんで震災前後の街の航空写真を買いました。平地部分が無残に壊滅した様子は悲しくなりました。現在の様子ではかつての街が戻る気配はまだなく、8年半経っても「復興した」とは到底言えない現状を知り、その悲劇に想いをはせることしかできませんでした。
↓さらに詳細はこちら
野蒜(のびる)
次は仙台方面へ戻る途中にある野蒜(のびる)へ。こちらを後にしたのは逆にすると交通の乗り継ぎ待ち時間が長くなるためです。
志津川からBRTに乗り、今度は柳津を越えて前谷地まで直通するバスで、乗客は終始自分1人でした。石巻から仙石線に乗り、野蒜駅で下車します。雨が強くなっていました。
現在の野蒜駅は旧駅よりも高台にあり、丘を切り開いて新し住宅街ができていました。
・新しい野蒜駅
現在の野蒜駅から被災した旧野蒜駅へと向かいます。
・旧野蒜駅(東松島市震災復興伝承館)
丘から降りると平地部は津波の被害を受けた場所で、震災後に建てられたと思われる比較的新しい住宅が点在していますが、全体的に空き地が広くて造成中の静かな雰囲気です。
・トンネルをくぐり南側へ。元の街はさらに下
・三角屋根の旧野蒜駅周辺を望む
・東松島市東日本大震災復興祈念公園を造成中
津波の被害を受けた旧野蒜駅は震災遺構として残され、駅舎は東松島市震災復興伝承館となっています。
時が止まった旧野蒜駅
線路が一部歪み、柱が倒れています
東松島市震災復興伝承館となった旧駅舎、東名運河の橋より
震災復興伝承館では1階では地域の文化や歴史の紹介、2階では震災の被害の様子のパネル写真や映像、そして被災した駅の設備等が展示されていました。街中が瓦礫まみれになり、電車も流されて折れ曲がる。2:46過ぎで止まった時計もありました。それらを見て改めて地震と津波の恐ろしさを感じました。
頭上の高さ3.7mの赤い線は津波が到達した高さを示す
このように忘れないように伝えていく事は大事だと思います。この地域のかつての活気が戻る日が来るのか、今は想像できません。
↓さらに詳細はこちら
南三陸と野蒜を訪れ、8年半経ってもまだまだ復興したとは言えない現状を目の当たりにしました。そしてこの悲劇と教訓を忘れてはいけない、伝えていかないといけない。複雑な感情ですが、現地を訪れてその現実を知ることが出来て良かったです。改めて1日も早い完全復興を願います。
夕食
仙台へ戻り、夕食はエキナカの「ハチ」で日本一のナポリタン。発祥の地横浜でのイベントで賞を取ったらしいです。
・ハチ店舗前
・日本一のナポリタン、目玉焼きハンバーグナポリタン
翌日の4日目はとあるライブに行きましたが省略します。
終わりに
仙台、松島、東日本大震災被災地を訪れました。歴史ある北の大都市仙台は思ったより東京から近く、伊達家ゆかりの歴史スポットや牛タンなどの名物グルメを堪能しました。日本三景の1つである松島は天気にも恵まれ、観光船クルーズでは開放的気持ち良い中で絶景を堪能できました。被災地は仮復旧したもののまだまだ完全復興とはいかない現状を目の当たりにしました。
東北地方に行ったのは久しぶりでしたが、充実した思い出深い良い旅行になりました。山寺(立石寺)なども本当は行きたかったので今度は山形と併せて行こうかと思います。被災地は三陸鉄道のある岩手県にかけて広範囲のためほんの少ししか行けていないので、またいつか行けたらと思います。東京からも意外と近くて良い所、皆さんもぜひ宮城県に来てみて下さい。
※各所のより詳しい写真は宮城旅行2019の写真ページに掲載しています。
【1日目】
【2日目】