【三陸被災地旅行】(5) 釜石 ~ TVで観た津波の記憶・今は穏やかな海
こんにちは、旅行散策と一眼レフ撮影が趣味の「みやだい」です。
三陸旅行2日目の終盤は釜石を散策してから帰途に就きます。
釜石
釜石駅
三陸鉄道で13:00に盛駅を出発して、13:51釜石駅に到着しました。
・釜石駅のマップ
三陸鉄道(盛方面)はJRとは少し離れたホーム。地下道を通って三陸鉄道側の駅舎から出ます。
・釜石駅、三陸鉄道ホーム
ちょっと懐かしい雰囲気の三陸鉄道の駅舎。隣にはJR釜石線のより大きな駅舎があります。宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のモチーフも。
・三陸鉄道の駅舎
・JRの駅舎には「銀河鉄道の夜」モチーフ
・駅前のロータリー、道路の先はすぐ工場
・ラグビーのオブジェ
・SL銀河のパネル
・駅舎全景
駅の西側目前には「鉄の町」釜石らしい大きな工場があり、その操業音が響いていました。車通りも多く大きなトラックも走っていて、今回の旅で一番の交通量です。
↓さらに詳細はこちら(帰りの釜石線を含む)
釜石駅から海側へ歩く
コインロッカーに荷物を預けて海沿いへ歩きます。道沿いの大きな工場の存在感と重厚な音は印象的でした。空気は正直あまり良くないです。
・交通量の多い道路と重厚な工場
・三陸鉄道が折り返し、便数が少ないので貴重
・工場沿いを歩く
・三陸鉄道の鉄橋が続く
・工場のパイプライン?がくぐるダイナミックな構造
橋を渡って鉄橋をくぐると大きなイオンタウン釜石の建物。周辺は広い空き地になっていて津波の被害を受けた地域です。東側の工場からはバリバリバキバキと大きな音を立てていました。
・橋を渡るとイオンタウン釜石
・周辺は津波で被災した跡の広い空き地が広がります
・15分ぐらい歩いて(もっと長く感じた)横たわる土手のグリーンベルトへ
グリーンベルト
海の近くに到着、高台への避難路を兼ねた土手風の散策路「グリーンベルト」へ。
・グリーンベルトに登り東屋の所で合流
・背後にはバリバリと音を立てていた工場等
海側の釜石港に目を向けると目の前を道路の勾配が横切っていますが、その先に海が広がっています。TVで観て衝撃を受けた大津波や海底が見えるほどの引き波の現場に立っていることになります。
今は風景が一変しており同じ場所だということが信じられないぐらいで、その直接的な痕跡はうかがえませんが、穏やかな海を眺めて想いを馳せました。
・道路の向こうにはかつての悲劇の海、今は穏やかな海
ここでも海沿いは堤防が隙間なく囲っていて、川には水門がありました。防波堤、防潮堤、そしてグリーンベルトも3つ目となる津波対策で厳重に守っています。
・岸壁沿いは全て堤防が厳重に囲う
・高台への避難路が続く
・内陸側も広い空き地で元の街の面影がない
ずっと曇っていましたが戻る時に日が差して何か安心感がありました。
※戻る時に空き地に鹿を見つけました!
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これで予定していた全ての行程を終え、あとは帰るだけになりました。2日間共時間がシビアな中で予定通りの場所を無事に回り終えることができてほっとしました。
行程を終えて帰途へ
釜石駅(JR石巻線)
釜石駅へ戻ると列車は長時間来ない静かな駅という感じで、さっきは空いていたコンビニNewDaysや蕎麦屋はもう閉まっていました。
・列車本数が少ない静かな駅
15:30頃に改札が始まり3番線ホームへ。キハ100の2両編成がいます。4番線には三陸鉄道の「たからくじ号」がやってきて釜石線に乗り換える人もいました。
・JR釜石線ホームへ
・印象的な三陸鉄道のたからくじ号
・これから乗車するJR釜石線
乗車して出発までしばらく待ちます。駅が機能しているのかわからないぐらい静かな雰囲気、本数が少ないし帰宅への終電だし緊張感がありました。
↓さらに詳細はこちら(三陸鉄道を含む)
釜石~新花巻(JR石巻線)
釜石駅を15:57発の花巻行が出発しました。しばらく街中を走り山の中へ入っていきました。乗客は多くなく席に余裕があり、足が疲れていたので足を延ばしました。
・しばらく街中を走る
夕日の街から山の中へ入りそびえたつ高い山、日が陰っていきます。
・だんだん山越えの雰囲気へ
都会と比べて細い路線だけど距離が長いし無いと困る路線だろうと思いました。三陸鉄道よりも揺れ、ワンマンだし本数少ないし厳しい現実、地域格差を感じました。
山を抜けて車窓は畑のある平原へと変化、駅付近ほど民家が多いです。
・山を越えて平原へ
1時間で遠野駅に到着、今まで一番大きな町で乗客も沢山乗ってきました。陽が沈んで真っ暗になりつつ、2時間と長いですがローカル線に乗る事自体を楽しみました。
・乗降客が多い遠野駅
17:53に新花巻駅着。新幹線と立体交差の単線駅で運転士に切符を渡します。改札はなく地下道で道路をくぐり新幹線の駅舎前へ。
・新花巻駅に到着
新花巻~東京(東北新幹線)
・新花巻駅のマップ
駅の売店が閉店近い時間(たぶん18時)で急いでお土産の南部せんべいを買いました。暗い時間に高速で通過する新幹線の振動音はちょっと怖いですね。
・少し離れた東北新幹線の駅へ
・高速で通過する新幹線ホーム
ホームに出てもはやぶさが通過する姿はとても速くて怖いぐらいですが、それが事故0で安全に運行されている事実、新幹線は本当にすごい技術だと毎回思わされます。
18:07新花巻駅発、仙台駅へと1間乗車してはやぶさに乗り換えます。釜石から3時間、仙台から考えても遠いエリアだったと実感します。
・仙台駅で降りて乗り継ぎ待ち
19:31仙台駅発、珍しいH5系(JR北海道の車両)が来て個人的にまだ2回目の乗車です。新幹線は速くて快適ですがゴールが近づく名残惜しさを感じます。
・思わずしてH5系に乗車
夕食は仙台駅構内の売店街で牛タン弁当を買っていました。ひもを引き抜いて温まるタイプで初めてでしたがすぐにぶわっと熱くなり、熱々の牛たんを美味しく堪能しました。引き換えに冷めるまで容器が捨てられないのは難点ですね。
・牛たん弁当を堪能
21:04に東京駅に到着しました。そこから中央線などに乗りますが人がとても多いし本数も多いし、乗ってきたローカル線との極端な格差を感じてしまいます。
・名残惜しく東京駅に到着
こうして被災地を巡る三陸旅行を終え、無事帰宅しました。
終わりに
震災から11年目が経過しているタイミングで訪れた被災地。前回2019年に南三陸、野蒜を訪れてもっと奥まで行きたいと思って実現した社会勉強の旅でした。心身ともに少しハードな旅でした。
気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石 - TV等で地名を繰り返し聞き、津波が襲う様子を観た各地を訪れ、震災の爪痕をリアルに体感して想いを馳せました。実際には小さな入り江1つ1つも被災していました。
新しく造成された街並みを見ると、津波の被害を受けた場所だと一目瞭然でした。海沿いや川沿いはどのエリアでも堤防が巡りかさ上げも行われ、今も再建の工事音が響いていました。
見渡せる場所に立つとこみ上げてくるものがありました。そこに来て想いを寄せる人達の姿も見かけました。そこで起きた悲劇を忘れてはいけないし、今もまだ終わっていないと感じました。
未来へと新しい生活を再建する様子に逞しさを感じつつも、地方の厳しい現実もあると感じました。誰かの大切な場所でもあるこの地域の生活や産業が今後も続いてほしいです。
現地に立ちつつも被災の全容は把握しきれていないし、実際の被害状況やその範囲は想像を越えているはずです。後で調べて知るほど恐ろしくなるぐらい、本当に甚大な災害だったのだと思わされます。
なかなか行きづらいエリアだとも実感しましたが、ぜひ1人でも多く現地を訪れてそのリアルさを体感して何かを感じてほしいです。沢山の人の心に響き、震災の伝承や支援の継続に繋がることを願います。
最後に訪れて実感したポイントをまとめます。
- 仙台からでも2~3時間以上かかる距離感の地域
- 鉄道、BRT、バス等は便数が少なく時間がシビアで事前調査が必要
- ICカードはBRTは対応だが周辺の鉄道は非対応
- BRTホーム含め各再建施設は新しくてトイレもきれい
- 心身共に疲れるので無理せず適宜休憩を
今回の旅の記録が何かの参考になれば幸いです。
(しっかりまとめようととても苦労して時間がかかってしまいました)
※表示時刻はその時点のものであり、最新の情報をご確認ください。
P.S. ぜひ被災地のストリートビューも見てみて下さい。復興が進む前の荒廃していたりかさ上げ前の様子を見ることができる場所があり、衝撃を受けると思います。
【追記】2023/12時点、風景が更新されて当時の様子が見られなくなった場所があります。
【旅行全体のリンク】
【関連ブログ】2019年に訪れた南三陸(志津川)と野蒜
※後日女川も訪れましたのでまとめる予定です。