「命さえあればいい」~東京で経験した東日本大震災、当日や1年後までの記録を公開

    日常・時事

私は東日本大震災を東京で経験し、忘れられない人生最大の衝撃的な体験となりました。当日から約1年間自分用のメモを記録しており、たまに読み返して思い出していました。

当時書いた「命ほど大切なものはない。命さえあればいい。」この言葉はとても胸に刻まれています。

10年経った今日、その時のメモと写真を公開することにしました。壮絶な経験をされた被災地の方と比べればなんてことないですが、何の役に立つか分かりませんが、震災を風化させないための情報の1つになればと思います。

念のため、心の準備ができてない方はこのまま離脱して下さい。また途中で辛くなった方もすぐに離脱して下さい(深呼吸しましょう)。

※とても長いです。

震災当日の様子

※震災当日にmixiに投稿した内容を元に、忘れないために2015/03/11に詳細を追記した文章です。

○東北地方太平洋沖地震
2011年3月11日14時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM8.8の地震が発生。
(後にM9.0に修正された)

つぶやき続けていましたが、何事もなく無事です。
地下鉄銀座線の神田駅で地上に上りかけたときに大地震にあいました。。。
今まで体感した最大の揺れ(震度5強)で、とても恐ろしかった。。。
駅構内と外とどちらが安全なのか凄く迷いつつ、外へ飛び出して避難。
電信柱がビルに叩きつけそうなぐらい、激しくぐらんぐらん揺れていた・・・
けたたましい警報音と大きな余震が長時間続く中、30分ぐらいその場で呆然としつつ、
震えが止まらなかった。

当日の震災前からの様子:
2月末に会社を辞め、当日はカメラを持って東京タワーと建設中の東京スカイツリーを見に行っていた。
東京タワーへは大門駅から歩いて行った、たぶん大江戸線。増上寺から東京タワーを見上げた。

震災直前の東京タワー(後に先端が折れることになった東京タワー)

その後、押上駅へ向かう。改札前の壁に「2012年完成予定、現在609m」という張り紙が、携帯電話写真に残っていた。
長い地下通路を通ってたぶん浅草通り側から地上へ出た。
川沿いを歩いて工事中だった東京スカイツリーを見上げる。(13:40頃)

震災直前の東京スカイツリー

業平橋駅(現東京スカイツリー駅)の北側にあるお店で昼食をとる。
カメラのレンズにごみが入っていたため掃除用具購入か掃除してもらうためにカメラ屋に行くことにした。とりあえず秋葉原のヨドバシカメラを目指すことにした。
業平橋駅ホームから見るスカイツリーは見上げる大きさで、地上にも工事のため足場が組まれていて、「地震が起きたら大丈夫かな?」と思いがけずふと考えていた。

東武伊勢崎線で浅草へ、浅草から銀座線へ乗り換える。左側の後方のドアの前で立っていたと思う。
銀座線はあまり乗ったことがなく、末広町駅の次に神田駅に到着して秋葉原の駅はないことに気づき、末広町で降りたほうが良かったかなと思い、とりあえず神田駅で下車。
秋葉原へ別の電車で行くか歩いていくか新宿へ行くか、ぼんやりと考えつつホーム前方へ細い地下通路を歩いていく。
左上に曲がる階段を登るとき、上にぶら下がっている銀座線を示す看板がぶらぶらと大きく揺れていることに、近くに居た子供が親に話しかけていた会話で気づく。

その直後激震に襲われる。すぐに神田駅のJR改札のある地上に出たが、あまりの強い揺れにどうしてよいか分からなかった。
今まで体感した最大の揺れ(震度5強)で、とても恐ろしかった。。。
数日前にニュージーランドでの大地震も記憶に新しかったし、古そうなレンガの駅だし、建物がつぶれてここで死ぬかもしれない、と思ったことを覚えている。
駅構内と外とどちらが安全なのか凄く迷いつつ、とりあえず目の前の西側の出口から外へ出た。
電信柱がビルに叩きつけそうなぐらい、激しくぐらんぐらん揺れていた・・・
けたたましい警報音と大きな余震が長時間続く中、30分ぐらいその場で呆然としつつ、 震えが止まらなかった。
道路に地割れのような筋があったが、元々あったものかどうかは判らなかった。違うかもしれないが敏感になっていた。(14:56)

震災直後の神田駅前

周りを見渡すと特にビルが崩れたりする様子はなかった。あの揺れで目に見える被害がないのは奇跡。
たまに消防車が通っていて、どこか火災や建物崩壊があるのかと、不安になっていた。
ケータイの通話やパケットもなかなか使えない中、家族からの「iモード災害用伝言版」でお互いの無事を確認。
なかなか円滑に情報交換もできず、津波10mとか、九段会館の天井が落ちたとか、家が停電とか、色々断片的な情報が・・・
電車が全て止まっていたし、どうするか迷ったが、情報を求めに電器屋のテレビが見られるだろうと隣駅の秋葉原に歩いて行くことにした。
15:16に、駅に戻って揺れていた看板を携帯で撮影した。

震災直後の神田駅の看板

中央通を歩く、左側。途中、靖国通りと交わる三角地帯では避難する人が30人ぐらい集まっていた。
たしかにビルから離れた広い場所の方が安全だ。道路も混雑していた。(15:50)

震災直後、須田町交差点震災直後、須田町交差点

会社単位と思われる防災グッズを背負った避難集団も見かけた。

万世橋を渡り秋葉原駅前へ。そこでもたくさんの人たちが途方に暮れていた。 街はシャッター街状態。
どう歩いたかは覚えていないが、秋葉原ダイビルという新しい建物の1Fロビーへ行った。
そこには大きなテレビがあり沢山の人が集まり、地震の報道が映っていた。
そこで見たものは、市原の工場火災、仙台空港の滑走路が大津波で流される様子、など。
東北の惨事を知り、鳥肌がたった。。。
見ている人の中にはそこに実家があったり友人がいたりして心配する人も・・・

JRは全不通で帰れる見込みがないため、電源と食料確保を目指す。
秋葉原の街を歩くとほとんどのお店がシャッターが閉まっていた。
いつもにぎわう秋葉原を見ているので、昼間でこの状況を見るのは初めてで異様だった。
歩き回った。住友不動産秋葉原ビル前で撮影(17:29)、ソフマップの前の歩道は落下物避けのためか、工事現場のような道路側に迂回するテープ、コーンが設置されていた。

震災当日、秋葉原ソフマップ前※この日この場所を写した動画で「建物の倒壊の恐れがある」とアナウンスする様子があった。

末広町付近のエクセルシオールが開いていたのは覚えているが、そのビル内のエレベーター前には臨時休業の張り紙が複数貼ってあった(17:38)

震災当日、ビル内の臨時休業の張り紙

コンビニでは、おにぎり、サンドイッチ類がどこも在庫なし。お菓子やインスタント食品のみが残っていた状態。
電器屋さんはどこも開いておらず、あきばおーの店舗のみが開いていることに気づいた。5号店に入った(後に追記:6号店?ドスパラの横)。
そこで単3電池と電池式の携帯電話充電器(電池2個入れ、白、USB出力)を購入。これはとても助かった。これがなかったら誰とも連絡が取れなくなっていただろう。後で考えて最も重要な行動だったかも。

秋葉原ダイビル斜め向かいにマクドナルドがあり、長い列を並んでハンバーガーを購入。
地下の客席に行った覚えはあるが、たしか満席で座れなかったと思う。マックに電源コンセントがあることは認識した。地下でも余震を感じていた。

隣の秋葉原クロスフィードという大きな新しい建物の1階、ここにきれいなトイレがあることを確認。
その建物の通路で帰宅難民に加わることにした。地面に座って何時間か待った。その間も余震が何度もあった。
守衛室前に充電用のコンセントのタップが用意されていたが使わず、電池で充電しながら連絡を取った。
JRはすべて終日運休とのことだったが私鉄は一部動いてるようで、まとまった情報がなくて自分自身も困っていたし、誰かのためになればと、mixiに各社の運行状況を日記にまとめて更新し続けた。

タイトル:「鉄道運行情報 00:00」
最終更新日時:2011年03月11日21:45

00:00
小田急動きました。
江ノ島線は運休です。

23:50
地下鉄は、副都心線を除き、ほとんどが動いてるようです。
ただ本数が少なく、乗客数が多く、かなりの混雑です。

22:05

各社HPによると、以下は運転再開しているそうです。電車運行中

★私鉄
・西武_池袋線、新宿線他
・相鉄
・東急
・京王相模原線(井の頭線は不明)
・東武伊勢崎線_曳舟~押上

★東京メトロ
・半蔵門線 九段下~押上
・南北線_白金高輪~埼玉高速鉄道
・有楽町線_池袋~新木場
・千代田線_大手町~表参道

★都営地下鉄
・浅草線 西馬込~浅草橋
・三田線 三田~西高島平
・大江戸線
・新宿線_笹塚~本八幡

電車運休中
JR東日本▲
小田急
京王井の頭線?
京急▲
東武
西武の一部
京成▲
りんかい線
みなとみらい線
横浜市営地下鉄
つくばEX▲

▲印は、11日は運行しないことが確定。(網羅しきれてません)

※まとまった情報がなくて自分も困ったので、まとめてみました。
※随時追加します。

少しずつとれた連絡で、兄が車で来てもらえることになった。深夜に動き出しつつあった地下鉄で、駒込に居た母と四谷で落ち合ってそこで車に乗ることになった。
昭和通口を歩き、岩本町から都営新宿線で市ヶ谷→南北線で四谷へ行く。
岩本町に着いたものの電車はなかなか来ない。
到着した新宿線は激しいラッシュ。扉が開いて人が降りる前に車内に押し込んでいく混乱ぶり。。。降りるときに大声を出したことを覚えている。
混雑はしていたが、混乱はしていなかったように思う。
00:48に混雑する新宿線のドア前を撮影している。

震災後深夜の都営新宿線

四谷駅前も道路は混雑、コンビニでトイレに入る。食料品はやはり全然なかった。
来るまでにも道路も激しく渋滞していて、町田から四谷まで7時間もかかったという(通常1時間ぐらい)。
帰りも4時間かかった。兄のおかげでAM5:00に帰宅できました。

首都圏では「JRが全て止まった」というだけで、これほど大変な状況になるので、
もし相模湾沖等で同じような地震が起きていたら・・・と思うと、本当にどれほど大パニックになっていたでしょうか。。。
建物が倒れ、電気・ガス・水道が止まり、道路も鉄道も寸断され、消防車も救急車も通れず、物流もストップし、山ほどある飲食店や商店もあかず飲食に困り、トイレにも困り、場合によってはケータイも不通となったり、つながりにくくなることで情報も寸断され、冬であれば暖房がなく、家族・知人の安否も分からない状況で、余震が続く中でそのような状況に立たされます。

※翌日3/12 17:11のテレビ震災翌日の原発を映したテレビ

2011年3月中のメモ

東北では太平洋側が、大津波により、壊滅的な被害。
死者1万人を超えている。
特に陸前高田市がひどい。気仙沼、釜石、石巻、
局所的に最大30mを超える津波もあった様子。
世界一の堤防も破壊した。
爆撃後のような街の様子。
大津波を撮影した映像は悲惨。
まだ水が引いていない場所もある。
被災地では交通寸断やガソリン不足などで、物資が入りにくくなっている。
雪が降ったり寒い中、行方不明者を探したり、遺体に対面することもできない状況。
各国からも支援が届き、援助隊も多数来日するが、依然行方不明者が1万6千人超え。
瓦礫を撤去する見込みも立っていない。
火葬が間に合っていない・・・仮に土葬をしている現実。

思ったこと。命ほど大切なものはない。命さえあればいい。

福島第1原発では、建屋が吹き飛んだり、
水蒸気爆発をおこしたり、謎の煙が出たりしている。
炉心の冷却水が足りず、放射性物質が放出している。
情報が錯綜し、不安が広がっている。
20kmまで避難、30kmまで屋内避難。
しかし場所によってはそれでは放射線安全基準を超えているという指摘も。
IAEAもこの基準は甘いと指摘。

自衛隊などがヘリや地上から原発に放水し、炉心と使用済みプールにある燃料棒を冷やしている。
最初海水を使い、数日後に塩の機器への影響を考え真水に切り替えた。
効果があるのかは、よく分からない。
東北・関東で日々放射線量が発表されている。
東京付近は0.1マイクロシーベルト。もちろん通常よりかなり高い。
官房長官は、「直ちに健康に影響がでるレベルではない」という表現だが、これが不評。
原発内部や周囲では、一時400ミリシーベルトという非常に危険なレベルが観測された。
シーベルト値は日々発表され、一喜一憂する日々。
海でも安全基準の数千倍の放射性物質が検出されたりしている。
ヨウ素、セシウム、そのほかにプルトニウムも検出されてきている。
まだまだ国・東電の状況把握がしきれていないようで、国民の不安が広がっている。

原発への放水のほか、電源の復帰作業が行われている。
制御室の電源は復帰したらしい。非常用冷却系が動作し始めているかはよく分からない。
高濃度の放射線のため、各種作業が難航している。
作業員が被爆したケースも出てきている。
いつ収束するか、まったく見込みがたっていないという発表。
外国も日本への寄港をやめたり、日本からの輸入を抑制したりしている。
IAEAは日本からの情報発信が少ないことを指摘、世界でも不安が広がっている。

東京でも放射線物質が検出されている。
水道水の乳児の基準を超えたため、乳児の飲用を控える通知も。
水が買占められたり混乱している。基準に大して日々している。
自治体はペットボトル水を配っている場合もある。
ガソリンも一時スタンドに集中し、価格も150円まで上がっている。

関東でも、浦安では液状化で大きな被害。
道がでこぼこになり、家が傾き、マンホールが飛び出る。
水道やガスなどがストップ。選挙もできない状態。

外国は、日本人の冷静で秩序ある行動を賞賛している。

2011年4月1日のメモ

平日は計画停電
最初は横浜線などは完全ストップ
他の路線も停電に合わせて運休したりしている。
特急などの運行は基本的にない。
本数を減らし、特別ダイヤで運行されている。

先週ぐらいから、平日でも計画停電をしない日が出てきた。
節電と、気温が上がってきて暖房使用が減ったため。

近況:
TVでは、地震の被害や、原発のことばかり。特にNHKは。
民放は、ACのCM(ぽぽぽぽ~ん)ばかり、気が狂いそうなぐらいループしている。
駅や電車は節電。暗い。エアコンもついてない。
エスカレーターは動いていない。階段のところへ人が押し寄せる。
駅構内には広告が少なくなっている。電車内も。
コンビニでは商品数が少ない。スーパーはしまっている場合も。
計画停電に合わせて営業している。
しかし予想に反して停電しない場合も、客足は伸びないし困るのかも。
がらあきの棚を見かける。インスタント食品などが多めに置いてある。
レストランも、一部食材が入りにくいとか、代用している旨が書かれている。
横浜では壁にヒビがはいった建物もある。ミューザ川崎は天井落下・・・
自販機は明かりが消されている。商品をカラにしてOFF状態のもある。
ペットボトルの水が購入数制限。

日々余震が続いている。
今までの大地震と比べても、大きい余震が多い印象。
M5クラスは1日5回はある印象。M6クラスもたまにある。
緊急地震速報も1日1回は見る。
徐々に規模がちいさくなりつつあるが、依然注意が必要。

CMは戻りつつあるが、被災者へのお見舞いなど、ひっそりとしている。
各種キャンペーンは中止・延期。文化・スポーツも軒並み中止・延期。
世の中が自粛モードで、計画停電や放射能の不安も合わさって、
暗い世の中になっている。
このままでは日本経済が冷え切ってしまいそうな不安がある。

個人的にも、思った以上にメンタルに負荷がかかっているようで、
何か虚無感があったり、無気力だったりする。
安否が分からない人を必死に探す人を映すTV、これも見ていてつらい。
TVで見た、「大至急、高台に避難せよ」という放送が頭に焼きついている。
色々mixiなどに書くことも自粛している。どこで誰が嫌な思いをするか分からないから。

避難者も最大20万人を超えた時期もあり、16万人に減ってきている。
関東・新潟などの各地へ避難が進んでいる。
4月からの就学・就職をどうするか悩む人もいる。
原発に近い町村は、町村ごと避難所へ機能を移したところもある。

計画停電の影響で、各団体でも特に夜間の施設利用が制限されているようだ。
米国基準では80km避難と違いがある。
放射性物質は流出しているし、避難が長期間続き、解決見込みがまったく立った居ないし、
スリーマイル島事故をすでに越えていると思う。
チェルノブイリにならないことを祈る。
地震だでも甚大災害、最大25兆円の被害とのことだが、原発関係を含んだら・・・・・・

停電。夜は特に影響が大きい。
寒いし、暗くて、懐中電灯を複数つける。
電子レンジなどは使えない。外の電灯も消えている。
ポットも暖められないので、TFAL→魔法瓶で保温。
いろんな電子機器の日時・設定も初期される。
その時間のTV番組を見たり、電気製品の便利さを味わえない。
何をしていればいいのか分からなかった。そして不安だった。

今は被災者の支援と、原発問題の収束が最優先。
東京電力は、今後かなり厳しい状況におかれる。
これほどのおおごとは戦後かつてない。ただでは済まされない。
発電方法や、民間企業が電力を作っていることなど、様々な事を検討しなおす必要がある。
また「情報」についての問題も出てきている。
情報が錯綜したり、正しい情報がなかなか発信されない不安など。

2011年11月24日のメモ

冬は計画停電は今のところあまり話に出てこない。
かつてのような極端な節電もない。
節電製品はよく売れてるし開発されているようだ。
イルミネーションも廃油発電、ソーラー発電などが行われるようだ。
そういえば夏は扇風機が大売れ、売り切れ続出だった。

まだ大きな余震は続いている。
今日も北海道で震度5弱。あの日以来のスカイツリーに行った20日にも茨城5弱、
翌日にも大き目のがあった。
地震速報がなることはほどんどなくなったが、M5クラスの余震は数日おきに起きている。

先月ぐらいに世田谷で高濃度のセシウムか何かが検出されて騒ぎになった。
原発とは関係なく、古い家屋の下に何かが埋められていたようだ。
一般に、戦前蛍光塗料として使われていたものが、そのまま残っている可能性もあるようだ。
市民計測者が増え、放射性物質には敏感になっている。

仮設住宅など被災者に対し、炊き出しなどが行われてきたが、
徐々に減りつつあるようだ。
東京のシェフたちが行っているケースもTVでたまに見る。
寒くなってくるので、また増えていくのだろうか。

少し前に、福島第1原発にカバーがかけられた。
建屋内で高濃度の何かが検出されたような話もたまに聞くが、
何かもう頻繁すぎるし、理解できないし、よく分からなくなってきている。
玄海原発が運転再開するとのことで騒ぎになっている。
浜岡原発は、たしか停止させたままだと思う。

先日いくつかのアーティストが、遺体収容所だった会場でコンサートを行った。
主催側も色々葛藤があったようだが、少しずつ現地の状況が変わりつつあるのだろう。

9月ごろ、電力消費ピークを過ぎたとして、駅・電車などの節電が解除された。
エスカレーターも動くようになった。
電車内の蛍光灯は一部が外されたままが。きっと今後もこのままなのだろう。

半年以上経ち、当時の感覚は大分忘れてきている。
でも忘れたくない。切実さを感じて、吹っ切れて前に進むようにもなったのだし。
今当時のことを考えると、本当にありえない状況だったとびっくりする。
横浜線など都心以外の路線が終日運休してたり、エスカレーターが止まってたり、電車内照明が消されたり暗かったり。
計画停電で懐中電灯+携帯ワンセグとか…。
被災地を除き、首都圏はなんとか元の生活に戻っている。

2012年2月のメモ

>マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生するという試算を、東京大学地震研究所の研究チームがまとめた。

山梨県東部富士五湖を震源とするM5級の地震が1月28日の午前7時44分から54分にかけて連発。最大で震度5弱を記録する揺れが2度も発生した。
これを東海地震の前兆という学者もいる。
この地震はたしかに比較的大きかった。ドアを開けたりした。

避難所は公共施設だけでは不足、商業地などにも要請していくらしい。

地震に関してはいろいろと厳しいニュースが増えている。
長期的には年末年始ぐらいから地震が再び増えている気がするし、
実際首都直下型が来たらどうなるんだろう・・・
こんなのんきでいいのかな・・・

2012年3月4日のメモ

もうすぐあれから1年。
NHKの「映像記録3.11」を観た。初めて見る津波映像もあった。
改めてそのすさまじさを感じて、ショックを受けている・・・
命の分かれ目、どうにもしようもない虚無感、現地の人々の切実な想い

最近M5越えの地震が1日4回は起きていて、1月ごろより増えている印象。
緊急地震速報が鳴ることはもう何ヶ月もないが、1年たってもこんな状況なんだ・・・
そんな状況にも慣れてしまって、もしいざ大きい地震が着たらどうなるんだろう。
そんなことはないだろうという考えが、頭のどこかである。
そんな油断が危ないのだろう。忘れないように定期的にこういう刺激を得たほうがよいのだろう。

「4年以内に70%」、というのは結局根拠が不十分ということになっているようだ。
ただ東京付近でも新しい断層が見つかったりというようなニュースがたまにある。
あと少し前に、首都圏直下型の場合の規模予想が震度6級から7級に上がった。
断層の状況を調べたりした結果、震源予想の深さが浅くなったからだ。
情報が多すぎて、何がなんだか分からない。色々あったが色々忘れている状況。

首都圏でも地震が起きるような話もあるし、そうでなくても備えるべきだし、
大地震が起きた時の具体的な対処策について世の中に周知されないものかと思う。
一人でも多く助かってほしいし、経験を活かさないのはもったいないし。
どういう場所が安全でどういう場所が危険なのか、ある程度の指標がほしい。
例えば海沿いが危険というのは分かるが、車で逃げるべきか、歩いて逃げるべきか、
高層ビルの場合はすぐに下るべきか、留まるべきか、
地下に居る場合は地上に出たほうがいいか、留まるべきか、
勤務先や慣れない場所で広域避難場所をどうやって探すか
細かい事はその都度判断しないといけないが、おおまかな指標は必要だと思う。

(終)

   

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Written by みやだい

ファゴット一眼レフ風景写真が好きな「みやだい」です。コントラファゴットやファゴッティーノやバソンも所有、風景写真は定期的にテレビ等に提供しています。旅行、猫も好きです。真面目マイペース平和主義、前向きでいたい。
X(旧Twitter) → @iadayim



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