本佐倉城跡[31枚]

千葉氏後期の本拠地の城跡

2018年3月、桜の時期に千葉の城跡を巡りました。本佐倉城址は文明年間(1469年~1486年)に千葉輔胤(すけたね)が将門山にに築城し、千葉氏後期の本拠地となり下総の政治経済文化の中心となりました。天正18年(1590年)に豊臣秀吉に滅ぼされて徳川氏に接収され、元和元年(1615年)に藩庁の佐倉城への移転と一国一城制により廃城となりました。現在でも当時のままの土塁や空堀などが残されています。国の史跡に指定されています。

作成

撮影時期2018年03月
エリア関東地方千葉県
所在地千葉県印旛郡酒々井町本佐倉829  [MAP]
アクセス京成電鉄「本佐倉」駅徒歩10分

画像の無断利用を禁じます 写真の利用と禁止事項
*Use of images is prohibited. Details

東山馬場・IV郭虎口

田園地帯に囲まれた丘の麓の本佐倉城跡の駐車場へ。
[1] 田園地帯に囲まれた丘の麓の本佐倉城跡の駐車場へ。
本佐倉城の図。
[2] 本佐倉城の図。
ひと気がなく静か、並んでいる盾が雰囲気を出す。
[3] ひと気がなく静か、並んでいる盾が雰囲気を出す。
IV郭虎口を進みます。
[4] IV郭虎口を進みます。
右手のIV郭、建物は無いようだ。
[5] 右手のIV郭、建物は無いようだ。
左手の城山へ向かう大堀切を少し上って下ります。
[6] 左手の城山へ向かう大堀切を少し上って下ります。

城山

城山通路を上ります。
[7] 城山通路を上ります。
城山虎口を上ると、城山門跡。
[8] 城山虎口を上ると、城山門跡。
建物があった広場が静かに広がります。
[9] 建物があった広場が静かに広がります。
建物があった広場が静かに広がります。
[10] 建物があった広場が静かに広がります。
堀切の頭上を奥ノ山へと橋が架けられていた可能性がある。
[11] 堀切の頭上を奥ノ山へと橋が架けられていた可能性がある。

奥ノ山

再び城山通路を下り、奥の山への分岐道へ。緑が心地よい。
[12] 再び城山通路を下り、奥の山への分岐道へ。緑が心地よい。
緑や竹が幻想的。
[13] 緑や竹が幻想的。
奥ノ山の広場へ。桜の木があります。
[14] 奥ノ山の広場へ。桜の木があります。
妙見宮の跡があり、別名妙見郭とも言われます。
[15] 妙見宮の跡があり、別名妙見郭とも言われます。
城山同様にこちらも静かな広場。
[16] 城山同様にこちらも静かな広場。
房総の魅力500選の碑。
[17] 房総の魅力500選の碑。
奥ノ山を振り返る。
[18] 奥ノ山を振り返る。

倉跡・IV郭

隣は倉跡と呼ばれるエリア。こちらも広い広場。
[19] 隣は倉跡と呼ばれるエリア。こちらも広い広場。
入口の盾方面。
[20] 入口の盾方面。
数は少ないが桜も見られます。
[21] 数は少ないが桜も見られます。
きれいなお花畑。
[22] きれいなお花畑。
城山の桜を見上げる。
[23] 城山の桜を見上げる。
再び盾の所へ。この左には東山虎口、その脇の東山へ。
[24] 再び盾の所へ。この左には東山虎口、その脇の東山へ。
駐車場周辺、のどかな田園丘陵地。
[25] 駐車場周辺、のどかな田園丘陵地。

東山

東山の上からは北側を見渡せます。京成線の先は印旛沼が広がっていた。
[26] 東山の上からは北側を見渡せます。京成線の先は印旛沼が広がっていた。
遠くに筑波山も見られます。
[27] 遠くに筑波山も見られます。
東山虎口の先は東光寺ビョウと呼ばれるエリア。
[28] 東山虎口の先は東光寺ビョウと呼ばれるエリア。
林に囲まれたの東山の尾根、所々見晴らしがよい。
[29] 林に囲まれたの東山の尾根、所々見晴らしがよい。
かつての歴史を伝える静かな史跡でした。
[30] かつての歴史を伝える静かな史跡でした。
駐車場付近の桜の木。
[31] 駐車場付近の桜の木。

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「本佐倉城跡」の地図

所在地千葉県印旛郡酒々井町本佐倉829
アクセス京成電鉄「本佐倉」駅徒歩10分

本佐倉城跡の近隣

佐倉城址公園の桜の写真ページ

佐倉城址公園の桜(60枚)3980m

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海ほたる(25枚)
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