ファゴット吹きとしてオケと比べて吹奏楽に感じるサウンドの問題点
最近ツイッターに書いてきたことのまとめです。ツイートの寄せ集めなので体裁は整っていません。
吹奏楽は形があるようでないもの。それぞれの環境で経験した「吹奏楽」という非常にばらつきがある概念がベースとなっている。ダブルリードなしでポップスばかりやる団体もあれば、ハープ・コントラ系がいるクラシック中心の団体もある。悪いとは言わないが、編成が自由なのは普及に向くが、安易寄りの多様性を生むことになる。
・吹奏楽の概念は様々
吹奏楽というのは幅が広くて多彩だけど、
* 平均音量が大きい
* 常に騒がしい
* 「弱」部分で音量が落ち切れていない
という曲やサウンド作りは木管奏者にとって面白くない。音が荒くなるし埋もれてより力んだ音になってしまい、美しい木管らしい音色が活かされなくなる。
金管楽器やサックス、打楽器など大きな音を出そうと思えば出せる楽器は、大きな音だけではなく繊細な美しい弱音も魅力の1つのはず。大きな音量の音色が本質ではない木管楽器と共に、そういう音ももっと活かされると良いですね。曲中の構成としてそういう部分が増えてほしい。
音が常に大きいよりも、大きい所は大きく小さい所は小さいの方が効果的。多くの吹奏楽曲は平均的に大きくてサウンドが飽和状態になっていて、お情け程度に小さい部分を作ってくれているように感じることもある。オーケストラはpやppがもっとずっと多く、デクレシェンドも多い。トランペットは休みが多く本当に大きい所だけで吹きます。
ファゴットは吹奏楽でもオケのようにもっと力を抜いた音で響かせたい。いつも「音量が小さい」という表面的短絡的な意見の一点張りで、無理に力んだ大きな音を吹かされている。こんなにも繊細に表現できる魅力的な楽器なのに、ほとんど活かされていない。
音が薄い部分は徹底的に薄くする、という傾向が見られるスパークの作品はファゴットにもとてもやりがいがある。思い切って同音域をファゴットだけに任せるとか、他の作曲家はなかなかやってくれない。そのぐらいメリハリがある方が聴く側も演奏する側も面白い。
・ステージ上のファゴット
吹奏楽の様々な問題点は「吹奏楽」と「吹奏楽部(スクールバンド)」を区別して考えると明確になる。スクールバンドは技術的にも音楽への精通度も未熟であるのは当然で、芸術的というより教育的要素が大きくなる。その結果奏者本人やその客層が好む大きな音量や安易な曲が選ばれ、商業的にもそういう曲が売れるので量産される。それが本来の「吹奏楽」とは違う「吹奏楽部」の独自の世界を作り上げている。
色々書きましたが吹奏楽がダメというわけではなく、吹奏楽がなければこれほど楽器が普及していないし、オーケストラにも波及していないはず。軍楽隊から始まった吹奏楽だけどスクールバンドで普及した偏りからさらに発展して、もっと芸術的なものになってほしいと願います。