吹奏楽について思うこと ~ 音量の大きさ、編成の考え方、大人の吹奏楽

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吹奏楽の音量について思うこと

ある吹奏楽団の練習に参加して思ったこと。やっぱり吹奏楽って音量が大きいなぁ。オケと比べると、mpがfぐらいの音量、勢い、音圧になっている。どうしてあんなにムキになって吹く、叩くのだろう。十分聴こえるのに。個の主張の集まりでサウンドが飽和状態。周りが大きいから大きくするの悪循環。きれいな音色レベルの音量は使えない。

管楽器はその構造の都合上、またその印象の関係でどうしても力んで大きな音をイメージして吹きがち。吹奏楽をやっているならば、普通に吹いたその音は「大きい」です。もっと力を抜いた音や弱音の響きも、その楽器の可能性や魅力の1つであることを知ってほしい。まずは客観視することから。

自分が大きい音を出して目立ちたい、それはもはや芸術作品を構成する一要素が反乱を起こしているようなもの。絵画で特定の色だけが鮮やか過ぎたら全体が台無しでしょう。合奏は演奏者全員で1つの作品を作る作業。自分の音がどんな影響を与えているか、どこに意識を向けて演奏しているかが大事に思えます。

昔聴きに行ったギャルドは本当に素晴らしかった。例えばチューバとサクソルンバス(≒ユーフォ)で作るベースサウンドの繊細さが印象的でした。その楽器として力任せに吹くのではなく、描きたいサウンド像があってそれに合わせて各楽器が表現するという感じだったのかも。色々考えさせられます。

吹奏楽としての編成について思うこと

「吹奏楽」って何だろう。少なくとも純粋な管楽合奏とは異なると感じる。アンサンブルとして吹奏楽の編成を成しているだけともまた違う何か不純物が混ざっている気がする。例えば金管五重奏も木管五重奏も、オケ団体がやるのと吹奏楽団体がやるのでは別物だろう。基本的なスタンスが違う。

吹奏楽の「全員参加」的なやり方を何とかしたい。スクールバンドの教育的な発想もあるかもしれないが、吹奏楽には適正な編成・人数バランスがある。サックスやトランペットやトロンボーンが多すぎるとサウンドが飽和状態になりやすい。そういう楽器程人気があり人数が多くなっている。

吹奏楽でもたまには編成を減らした演奏をしてみたらどうだろうか。オーケストラの「降り番」の概念。選抜とかオーディションのような殺伐としたものではなく「交代で」乗り、担当した曲に注力する考え方。同じパート奏者が減れば1人1人の責任も増えるがやりがいも増え、意識・技術共にアップする。

小編成を例に吹奏楽とは何かを考える

小編成の吹奏楽はオーボエやファゴットは省略されがちです。そのためか人数が少ない場合はまずこれらを減らすのが前提のような感じがしてしまいます。でも木管五重奏なんて究極の小編成管楽合奏であり、その考え方ではそれが実現できません。経験上、むしろ小編成であるほどファゴットが良く活かされます。

そうなるのは主にスクールバンドの事情だと思います。吹奏楽の概念にはその編成を規定することに加え、スクールバンド的事情、教育的要素が加わって成り立っています。しかし本来大人の吹奏楽団までそれに従う必要はなく、純粋な管楽合奏としてオーボエやファゴットがいる小編成の団体があっても良いはずです。そのような曲は売れないから作られないのかもしれません。結局商業的事情でもあるのです。

「吹奏楽」は「吹奏楽部」が全てではない。これだけスクールバンドが盛んなのは素晴らしいことだけど、若年層主体であるためにそれが「吹奏楽」そのものであるかのように考えるのは違うと思う。大人には大人のやり方があるはず。スクールバンドの延長ではない、編成、選曲などのより洗練された吹奏楽像を見つけ、追及していけると良いですね。

・私もファゴットで大人の吹奏楽を追求中ファゴット

   

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Written by みやだい

ファゴット一眼レフ風景写真が好きな「みやだい」です。コントラファゴットやファゴッティーノやバソンも所有、風景写真は定期的にテレビ等に提供しています。旅行、猫も好きです。真面目マイペース平和主義、前向きでいたい。
X(旧Twitter) → @iadayim



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