原爆で被災した唯一のお城の広島城 ~ 広島のルーツの悲劇

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前の記事で書きましたが、昨日74回目の広島原爆の日を迎えました。原爆により広島市中が壊滅的な被害を受け、14万人以上が亡くなるという想像を絶する凄惨な出来事でした。その記録を残し二度と繰り返さないために平和記念公園、平和記念資料館が整備され、原爆ドームが世界遺産に登録されました。唯一の被爆国である日本にしかできない、核兵器の恐ろしさを伝える重要な場所です。

今回はそれら以外で被災した場所の1つ、広島城に注目します。私は全国の多数のお城を訪れていますが(タグ「城」の写真ページ一覧)、その中でも広島城は一際印象深いお城でした。

・現在の広島城天守閣
広島城広島城

広島城の歴史


広島城はこの地を支配した戦国大名・毛利輝元が1589年に築城した城で、その時に「広島」という地名を名付けています。名古屋城、岡山城と共に日本三大平城の1つで、毛利氏の後には福島氏の居城となり、城や城下町を本格的に整備します。1619年(元和5年)以降は浅野氏の居城となり、明治時代まで約250年間続きます。戊辰戦争でも被害を受ける事はありませんでした。

明治時代には陸軍の施設が建てられ、軍都としての発展していきます。1894年(明治27年)7月には日清戦争の指揮のために広島大本営が設置されました。同年から翌年まで明治天皇が行幸し、帝国議会が広島で招集され、臨時首都として機能していました。昭和6(1931)年には天守閣が国宝に指定されます。

・城内にある大本営跡
広島城の大本営跡広島城の大本営跡
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、軍事施設が集中していた広島に原爆が投下されました。広島城は爆心地から約1㎞の位置にあり、爆風により一瞬にして倒壊し、そこに居た兵士たちは死亡し1万人規模の部隊は消滅しました。倒壊を免れた防空作戦室から広島被爆の第一報を通信しています。

・現在の残る被爆ユーカリ
被爆ユーカリ被爆ユーカリ
1951年(昭和26年)に広島国体にあわせて木造仮設天守閣が造られるも解体され、1958年(昭和33年)には鉄筋コンクリート構造で外観復元され博物館として利用され、現在に至ります。2006年(平成18年)には日本100名城に選定されています。

参考:Wikipedia:広島城

所感


このように広島城は広島の街が発展するきっかけとなり地名の元にもなった、歴史的にも地理的にも重要なお城です。まさに広島のルーツとも言えます。鯉城(りじょう)の別名を持ち、広島東洋カープもそこから名付けられています。これほど重要なお城であるにも関わらず知名度はあまり高くないというのが正直なところではないでしょうか。それはやはり原爆ドームが象徴的でインパクトが強いからだと思います。

全国には戦争で焼失したお城は多数ありますが、その中でも原爆により破壊されたお城は広島城が唯一であり、より悲劇を感じます。科学が発展した結果このような形で一瞬の内に無残に破壊されるとは、築城当時の人達は想像もできなかったでしょう。他のお城と同じように歴史があったものが、後にスケールの違う破壊力によって破壊され、まるでその歴史の記憶も葬り去られたかのようです。

広島城は広島のガイドブックにはあまり大きく載っていませんが、広島のルーツとして、原爆で被災した文化財の1つとして、悲劇のお城としてぜひ注目してほしいです。広島城の展望室からは市内を眺望でき、壊滅した広島が復興を遂げて100万人を超える中国地方最大の大都市になった姿を見る事も感慨深いです。原爆ドームや平和記念公園からもほど近いので、ぜひ訪れてみて下さい。

・広島城展望室からの眺望
広島城眺望広島城眺望
・原爆ドーム方面
広島城眺望広島城眺望
広島城へのアクセスはこちら

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