沢田研二さんコンサートドタキャン事案を元に、音楽の本質について考える
沢田研二さんがコンサートをドタキャンする出来事がニュースになりました。中止の理由は観客が少なかったからだそうです。
この話で思い出すのは「平成26年豪雪」。あの日は関東でも交通が完全にマヒする程の記録的大雪で、東京でも45年ぶりレベルの積雪でした。そんな日が自分たちの演奏会当日、なんとかホールに集合しながらも当然中止することも検討されましたが、開催することになりました。
開演してみるとお客さんは10人ぐらい。冷たくて広くて静まり返ったホール。それでも自分たちは全力で演奏しました。ホールの中は悪天候も関係ないし、こんな時にこそ来てくれたお客さんに良い演奏を届けたい。あの日のお客さんの拍手はとても温かかった。とても思い出に残る、とても良い演奏会でした。帰りは大雪で大渋滞でなかなか進まない車で迎えに来てもらい、帰ってからは今までで一番の雪かきをして大変でしたが。
お客さんが何人だろうと全力で演奏する、至極当然のことだと思います。大物プロになるとそれができなくなるのでしょうか。もちろん関係者の人数、動いているお金の規模も全然違うとは思いますが、中止することの方が費用がかかったり様々な人が動いたり評判を下げたりすることは想像できなかったのでしょうか。お客さんは演者が好きだから聴きに来た人ばかり。そんな好意的な人達への対応として、とても身勝手さ、おごりを感じてしまいました。
彼がやっていたことは本当に「音楽」なのでしょうか。単なる見栄やプライドのアピールに音楽を利用しただけではないだろうか。少なくとも自分はそういう醜い心をもった人の音楽は聴きたくない。それならば見返りを求めないアマチュアの音楽家の方がずっと「音楽」の本質に近い事を目指しているのではないか。プロはそれで稼がないといけないとはいえ、音楽は本来見栄とか利益とかとは関係ない次元のものだと思うのです。
ということで音楽に対する姿勢やその本質について考えるきっかけになりました。