【散策まとめ】穴守稲荷神社・羽田の大鳥居
穴守稲荷神社と羽田の大鳥居とその周辺を散策しました。
写真ページ
■蒲田の写真ページJR蒲田駅前は雑居ビルが密集し、細い路地に歓楽街が続く雰囲気の街並みが印象的でした。大田区民ホール「アプリコ」は一転して広い敷地に新しく大きな建物です。東側へ900m程歩き京急蒲田駅へ。京急蒲田駅は高架化工事が近年完了し、見上げる高さの二重高架構造が独特でかつてとは大きく変化した姿に驚きました。箱根駅伝を遮断していた第一京浜の踏み切りも解消されていました。
■穴守稲荷神社の写真ページ穴守稲荷神社は豊受姫命を祭神とする神社で、文化元年(1804年)頃に現在の羽田空港の地域の新田開墾にあたり堤防の決壊から守るために祠を建てたことが起源とされる。当初は現在の羽田空港内にあったものが戦後にGHQの強制退去により海老取川対岸の現在の位置に再建されました。最寄の穴守稲荷駅周辺は静かな下町風景ですが、環八沿いには空港や物流関係の大きな施設が建っていました。
■天空橋・羽田大鳥居の写真ページ天空橋は住宅街と羽田空港を隔てる海老取川に架かる人道橋です。川沿いを南下すると島の角に羽田大鳥居が現れます。この鳥居は元々現在の空港内の位置に建っていた穴守稲荷神社の鳥居の1つです。1945年にGHQにより空港拡張のために住民約3000人の強制退去が行われ、神社も取り壊されることになりました。しかしこの鳥居を取り壊そうとすると事故が続いたために撤去を免れたとされ、旧ターミナルの駐車場内に残されて建っていました。その後1999年の空港沖合移転時に再度撤去が検討され、住民の希望で現在の位置に移設されました。鳥居は強制退去の悲劇を伝えつつ、「平和」の文字を掲げて静かに建っていました。
所感
特徴的な鳥居の存在によってこの地域の強制退去という悲劇の歴史を知るきっかけになりました。成田空港の反対運動は有名ですが、羽田空港にもこのような事があったとは知りませんでした。壊せなかった鳥居は破壊への抵抗、祟りだとも言われ都市伝説の1つにもなっています。これからもこの地域の象徴として歴史を伝え続けるのでしょう。
【関連】写真タグ:穴守稲荷散策2015