活動記録1 ~ 高校時代
自分にとって欠かせない存在になっている音楽について、今までの音楽経験について書いていきます。1回目はファゴットを始めた高校時代についてです。※少しずつ加筆、体裁調整していきます。
- 活動記録1 ~ 高校時代
- 活動記録2 ~ 大学時代
- 活動記録3 ~ 一般吹奏楽団時代
- 活動記録4 ~ 管弦楽進出時代
- 活動記録5 ~ コロナ禍以降
高校時代
ファゴットを始める
横浜市立桜丘高校の吹奏楽部でファゴットを始めました。当初は楽器の事はよく分からず、最初はサックスを希望していた気がしますが既に経験者が埋まっていた事もあり、なかなか楽器が決まらずにいました。結果として残っていたファゴットかコントラバスから選ぶことになり、ファゴットを選びました。
これが後の濃すぎるファゴット人生の始まりとなりました。ファゴットは中学校で見かけていたので楽器の存在は知っていましたが、どのような楽器なのかは全く知りませんでした。
当初ファゴットは2年生1人、3年生2人で、学校楽器がそれ以上なかったのでOBからお借りして使っていました(ソノーラ1357)。1年の最後に初代ファゴット(シュライバー5031)を親に買ってもらいました。
・シュライバーのファゴット
吹奏楽部での活動概要
一般的な公立高校ながらハープやコントラバスクラ等もあり編成が充実していました。ファゴットを含め全パートにレッスンの先生が就き、ファゴットも必要な楽器としてしっかり扱われている恵まれた環境で活動していきました。
3年時には部がコントラファゴットも購入しました。これらのことから吹奏楽では一般的に存在意義を見失いがちなファゴットで安定的に活動することができ、大編成に親しみ、特殊楽器に対しても興味を持つことに繋がりました。
・学校での練習(卒業後)
練習は当初は地下の狭い部室でしたが、より環境の良い音楽室へ移動していきました。近隣にあるかながわアートホールでも良く練習しています。
毎年卒業式には「エルザの大聖堂への行列」を演奏するのが恒例でした。
吹奏楽コンクールの結果は学校数の多い横浜市内では上位クラスで、東関東大会の銀賞まで行くことができました。
自分が参加した2,3年時の自由曲は伊福部昭作曲のシンフォニア・タプカーラ、ラヴェル作曲のバレエ音楽「ダフニスとクロエ」より夜明け、全員の踊りを演奏しました。
宇都宮での2年時は本番翌日に日光観光もし、水戸での3年時は当日にホテルを朝3時に出発して朝練したのを思い出します。
その他様々なの活動
吹奏楽部ではステージドリル(マーチング)もやっていて、パーカッションを担当しました。ピットでマリンバやヴィヴラフォン等の鍵盤楽器を中心に練習していました。朝練で基礎練をやったのを思い出します。
国体では横浜国際競技場の広いフィールドで演奏をしました。鍵盤楽器やサスシンを中心に練習してましたが本番は銅鑼を演奏しました。
吹奏楽部では音楽を深める一環として合唱も行っていました。声楽の先生に教わり、合唱部が出るような発表会に出たこともあります。「心の瞳」を良く歌ったことを覚えています。部の温かい雰囲気と良く合っている曲で思い出深いです。
その他思い出深いのは、部が吹奏楽ドラマ「LxIxVxE」にエキストラ出演したことです。オープニングシーンのメンバーには惜しくも漏れてしまいましたが、コンクールのシーンで横須賀芸術劇場でその年の課題曲を演奏しました。
・記念品のテレカ
高校生活は部活中心の日々で部室や音楽室によく行っていました。とても和やかな雰囲気の校風で、顧問の先生も優しく熱い方で、本当に素晴らしい清々しい日々を過ごすことができました。
こうして自分にとってファゴットや吹奏楽が欠かせないものになりました。
卒業後
OBになってからも何年かおきに現役とOB・OGの合同演奏会が開催され、毎回参加しています。母校に通うと懐かしい雰囲気で心が洗われていました。自分にとって音楽の原点となる大事な場所です。
・OBOGジョイントコンサート
卒業後はファゴットが学年2人ずつになり後輩の人数が一気に増えました。大学を出ですぐのOB・OG合同演奏会ではファゴットの参加者は自分が最年長ながらもファゴット13人で演奏した事は感慨深かったです。本当にファゴットに恵まれた公立高校でした。
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