長篠城跡[60枚]

長篠の戦いで武田の大軍包囲に耐える

2022年5月、東三河・浜松旅行に行きました。長篠城跡は愛知県新城市(しんしろし)にあった城跡で、永正5年(1508年)に菅沼元成により築城されました。交通の要衝にあり、豊川と宇連川が合流する断崖上にある自然地形を利用した城です。特に天正3年(1575年)の織田軍と武田軍による「長篠の戦い」が有名で、徳川家康が城主に任命した21歳の奥平貞昌(後の信昌)が500の兵で武田勝頼の1万5000の大軍勢の包囲に耐え、織田軍の勝利に貢献しました。岡崎城へ援軍を求めに走った鳥居強右衛門の忠義のエピソードも知られています。現在は本丸周辺に空堀と土塁などの遺構が残っており、飯田線で寸断された野牛曲輪が残っている他は畑や宅地となっています。国の史跡に指定され、日本100名城に選定されています。

作成

撮影時期2022年05月
エリア中部地方愛知県
所在地愛知県新城市長篠市場22番地-1  [MAP]
アクセス飯田線「長篠城」駅徒歩8分、駐車場有
関連サイト国指定史跡長篠城跡の案内:新城市

画像の無断利用を禁じます 写真の利用と禁止事項
*Use of images is prohibited. Details

長篠城址史跡保存館周辺

駐車場付近、本丸の北側に長篠城址史跡保存館があります。100名城スタンプはここに。
[1] 駐車場付近、本丸の北側に長篠城址史跡保存館があります。100名城スタンプはここに。
長篠・設楽原の戦い布陣図。城域よりも広範囲です。
[2] 長篠・設楽原の戦い布陣図。城域よりも広範囲です。
国指定史跡長篠城跡の看板。
[3] 国指定史跡長篠城跡の看板。
長篠の戦い史跡めぐりコースの看板。周辺にも史跡が点在しています。
[4] 長篠の戦い史跡めぐりコースの看板。周辺にも史跡が点在しています。
保存館のある二の丸帯曲輪から本丸方面へ。静かで自然の香りがします。
[5] 保存館のある二の丸帯曲輪から本丸方面へ。静かで自然の香りがします。
本丸と二の丸の間に空堀があります。
[6] 本丸と二の丸の間に空堀があります。
空堀の本丸の入口方面。
[7] 空堀の本丸の入口方面。
長篠城址史跡保存館。1階にはお手洗いがあります。
[8] 長篠城址史跡保存館。1階にはお手洗いがあります。
長篠城概要図の看板。まずは本丸の主郭へ向かいます。
[9] 長篠城概要図の看板。まずは本丸の主郭へ向かいます。
本丸の入口。静かで緑の木々が心地よいです。
[10] 本丸の入口。静かで緑の木々が心地よいです。

本丸前

右側に長篠城址の碑。
[11] 右側に長篠城址の碑。
頭上には各樹齢100年のケヤキとモミの木。
[12] 頭上には各樹齢100年のケヤキとモミの木。
右側の水路。曲輪右手には滝があり水の音が聞こえます。
[13] 右側の水路。曲輪右手には滝があり水の音が聞こえます。
左手の土塁。
[14] 左手の土塁。
左手の空堀。奥には駐車場。
[15] 左手の空堀。奥には駐車場。
説明の石碑。
[16] 説明の石碑。

本丸(主郭)

本丸の広場は開放的。自然の香り、水分のある空気感、静かで鳥の声とそよそよ音、緑の自然が心地よい。
[17] 本丸の広場は開放的。自然の香り、水分のある空気感、静かで鳥の声とそよそよ音、緑の自然が心地よい。
左手の土塁と緑の木々。
[18] 左手の土塁と緑の木々。
(調査中)
[19] (調査中)
広場には長篠の戦の武将の旗が並びます、右半分は武田勝頼率いる武田軍。右の磔を描いた印象的な旗は落合左平次旗指物(後述)。
[20] 広場には長篠の戦の武将の旗が並びます、右半分は武田勝頼率いる武田軍。右の磔を描いた印象的な旗は落合左平次旗指物(後述)。
中央では徳川軍と武田軍の旗が対峙。
[21] 中央では徳川軍と武田軍の旗が対峙。
左半分は織田信長率いる織田軍、左は時には城主の奥平貞昌。
[22] 左半分は織田信長率いる織田軍、左は時には城主の奥平貞昌。
旗の前に本丸広場が広がります。
[23] 旗の前に本丸広場が広がります。
豊川対岸で足軽・鳥居強右衛門(すねえもん)が磔にされた逸話。岡崎城の徳川家康に援軍を求めに走り戻った所を武田軍に捉えられ、援軍は来ないと叫ぶ事を強いられたが援軍が来ると叫び処刑された。落合左平次は忠義に感動し前述の旗指物として使った。
[24] 豊川対岸で足軽・鳥居強右衛門(すねえもん)が磔にされた逸話。岡崎城の徳川家康に援軍を求めに走り戻った所を武田軍に捉えられ、援軍は来ないと叫ぶ事を強いられたが援軍が来ると叫び処刑された。落合左平次は忠義に感動し前述の旗指物として使った。
本丸は飯田線の電車が横切ります。線路がカーブしているため遠くから音が聞こえます。
[25] 本丸は飯田線の電車が横切ります。線路がカーブしているため遠くから音が聞こえます。
もう一方の宇連川を挟んで武田軍の5つの砦があり、酒井忠次が急襲しました。
[26] もう一方の宇連川を挟んで武田軍の5つの砦があり、酒井忠次が急襲しました。
飯田線越しの対岸の風景。武田軍の睨みを疑似体験。
[27] 飯田線越しの対岸の風景。武田軍の睨みを疑似体験。
川の合流地点方面。新東名高速道路が見えます。
[28] 川の合流地点方面。新東名高速道路が見えます。
線路、川の上流方向。
[29] 線路、川の上流方向。
長篠の戦いを伝える場所でした。
[30] 長篠の戦いを伝える場所でした。

本丸・土塁の上

土塁の上へと鳥居が連なる坂へ。
[31] 土塁の上へと鳥居が連なる坂へ。
横切る線路が印象的です。
[32] 横切る線路が印象的です。
右奥の突き出たところへ。
[33] 右奥の突き出たところへ。
城藪稲荷が他の場所へ移転した跡。
[34] 城藪稲荷が他の場所へ移転した跡。
左手に空堀があります。
[35] 左手に空堀があります。
土塁の上を歩きます。
[36] 土塁の上を歩きます。
本丸広場を見下ろす。
[37] 本丸広場を見下ろす。
久邇宮良子女王「御手植の松」
[38] 久邇宮良子女王「御手植の松」
長篠城址の石碑。
[39] 長篠城址の石碑。
土塁から下ります。
[40] 土塁から下ります。

踏切周辺

野牛曲輪へ向かう小路へ。先ほどの城藪稲荷跡の土塁が見えます。
[41] 野牛曲輪へ向かう小路へ。先ほどの城藪稲荷跡の土塁が見えます。
飯田線の踏切は遮断機がなく緊張感。
[42] 飯田線の踏切は遮断機がなく緊張感。
右手には空堀と土塁。
[43] 右手には空堀と土塁。
飯田線の豊橋方面。隣の鳥居駅は鳥居強右衛門にちなむ。
[44] 飯田線の豊橋方面。隣の鳥居駅は鳥居強右衛門にちなむ。
飯田線の辰野方面。近くに長篠城駅があります。
[45] 飯田線の辰野方面。近くに長篠城駅があります。
線路で土塁を切られたような形です。
[46] 線路で土塁を切られたような形です。
線路沿いの草道を進みます。
[47] 線路沿いの草道を進みます。

野牛曲輪

野牛曲輪は草道に分け入る感じで歩きづらいです。
[48] 野牛曲輪は草道に分け入る感じで歩きづらいです。
左手の水路の先のちょっとした広場。
[49] 左手の水路の先のちょっとした広場。
草道を進むと古い建物が見えてきます。
[50] 草道を進むと古い建物が見えてきます。
右手には井戸跡があります。
[51] 右手には井戸跡があります。
振り返る、線路の下の一面緑の世界。
[52] 振り返る、線路の下の一面緑の世界。
左に曲がった草地の広場。
[53] 左に曲がった草地の広場。
線路側を振り返る。
[54] 線路側を振り返る。

崖道(危険)

ここから先は川に降りる道で【危険】です。途中まで行ったので載せますがおすすめしません(行く方は自己責任で)。
[55] ここから先は川に降りる道で【危険】です。途中まで行ったので載せますがおすすめしません(行く方は自己責任で)。
鬱蒼とした斜面の道、左は柵等もない宇連川の崖で要注意。とにかく足元注意。
[56] 鬱蒼とした斜面の道、左は柵等もない宇連川の崖で要注意。とにかく足元注意。
どんどん草の丈が高くなり歩きづらくなります。分かれ道でまっすぐ行きました(左はたぶん川に降りる道)。
[57] どんどん草の丈が高くなり歩きづらくなります。分かれ道でまっすぐ行きました(左はたぶん川に降りる道)。
背丈ほどの草をかき分け行き止まりと思われる岩の上へ(足元見えず判断が難しい)。新東名や合流する川が少し見えるぐらいの眺望です。
[58] 背丈ほどの草をかき分け行き止まりと思われる岩の上へ(足元見えず判断が難しい)。新東名や合流する川が少し見えるぐらいの眺望です。
右側の豊川も少し見える程度。ここまで足場が悪く柵等もなく危険なので行くことはおすすめしません。
[59] 右側の豊川も少し見える程度。ここまで足場が悪く柵等もなく危険なので行くことはおすすめしません。
踏切へ戻ります。ワイルドな場所でした。
[60] 踏切へ戻ります。ワイルドな場所でした。

画像の無断利用を禁じます 写真の利用と禁止事項
*Use of images is prohibited. Details

「長篠城跡」の地図

所在地愛知県新城市長篠市場22番地-1
アクセス飯田線「長篠城」駅徒歩8分、駐車場有
関連サイト国指定史跡長篠城跡の案内:新城市

↓拍手ボタンを押して頂けるととても励みになります。

前後の撮影場所

【NEXT】
吉田城(豊橋公園)の写真ページへ

吉田城(豊橋公園)(47枚)
三河の重要拠点、池田輝政が大改修

【PREV】
熊谷桜堤の写真ページへ

熊谷桜堤(36枚)
荒川土手に2km続く桜の名所

関連ブログ

ブログに共通のタグ 「東三河・浜松旅行2022」の記事があります。