全てに意図がある ~ 委嘱作品の作曲者自身の指揮による初合奏で感じたこと

    練習・体験

先日ある吹奏楽団の練習に参加したのですが、その時に委嘱作品の練習をしました。その曲は当日朝に出来上がったばかりで、作曲者の指揮によって初の合奏を行いサウンドを組み立てていきました。その時に感じた事について書いていきます。

作曲者指揮で感じたこと

作曲者自身による指揮というのは新鮮な体験でした。作曲者は当然その曲のことを一番よく知っている人です。書かれている音のニュアンスや意図、求める楽器同士のバランス、込めた意味など、様々な事を解説されながらの合奏となりました。一般の指揮者による二次的解釈とは違い、最も直接に意図が伝わる機会であり、このことはとても貴重な体験でした。

・ファゴットで合奏ファゴット練習

例えば次のような指示がありました。曲全体はこの絵画をイメージしていてそれぞれこういう場面である、グロッケンとヴィヴラフォンの音量バランスを整えチューブラーベルズ(チャイム)が核になること、ミュート有無の混在する金管の音量バランス、フルートが低いテンションの音にならないこと、ユーフォとファゴットが聞こえてほしい、コントラバスクラが支えてほしい、マリンバはこのぐらいの硬さのマレットによる音がほしい、主役を引き立てる伴奏バランスにすること、この音の音価は書いてある音符より長め、この楽器のこの音は響きにくいから少し大きめ、等。

1つ1つの部分に様々な詳細な指示を受けることにより、作曲者は当然曲の各部分について明確な意図を持っているものなのだと実感できました。音や癖が異なる楽器の組み合わせに対し、意図した適正な音のニュアンスやバランスがあるのです。曲という芸術作品を描画を実現するために各楽器の事を熟知した上で、1つ1つに意図をもってパレットからキャンバスに描いているのです。曲はそのようにできていて無駄な部分はない、そのことをストレートに感じることができました。

この事はその曲に限らないはずです。たとえファゴットが活躍しづらく感じるような曲でも、ファゴットがどういう音を出してサウンドに影響をもたらしてほしいかが、それぞれの曲の作曲者が考えているわけです。活躍しない、つまらない、扱いが悪い、等と安易に考えるのは浅はかなことです。バスクラと一緒なら、バスクラに足りない響きを足したいのです。これは全ての楽器について同様に言えることで、ましてや楽器が足りない事は望んでいないはずです。

終わりに

作曲者側の視点に触れることで今までとは違った見方ができるようになりました。作曲者がせっかく苦労して1つ1つに意図をもってキャンバスに色を塗った作品。指揮者はもちろん、演奏者側ももっとそのことを感じ取ろうとした方が、より良い音楽、芸術的な音楽、より伝わる音楽ができるのではないか。便宜上譜面という形になっていますが、どんなバランスか、どんな音色かが欲しいのか、どんな流れにしたいか、等が隠れています。つまらないと感じてる曲も、その読み取りと追及が足りない場合がありそうです。

・練習会場となった「オリセン」、個人的に懐かしい場所オリセン

   

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Written by みやだい

ファゴット一眼レフ風景写真が好きな「みやだい」です。コントラファゴットやファゴッティーノやバソンも所有、風景写真は定期的にテレビ等に提供しています。旅行、猫も好きです。真面目マイペース平和主義、前向きでいたい。
X(旧Twitter) → @iadayim



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